4コマ漫画

”スクイズ失敗” 万事休す!

昭和47年夏、全国高校野球選手権奈良大会1回戦、2対1の1点差で迎えた8回裏1アウトランナー3塁、1打同点のチャンス、バッター4番山本、結果は・・

スクイズ失敗、ピッチャーフライダブルプレーでチェンジ、そのまま敗退。これが、私の高校野球最後の試合であり、また、学生時代で最も印象に残っている出来事です。

私は小さい頃から野球が大好きでした。私が小学校の頃は現在のような少年野球チームは村にはなかったので、仲間で草野球を楽しむ毎日でした。

中学では入学式当日から野球部に入り、その日から練習に参加しました。中学時代は、セカンド・ショートとして3年間過ごしました。
高校は、昨年44年ぶりに甲子園出場を果たした高田高校に進学し、野球部に入部しました。ここで、昨年の選挙でたいへんお世話になった深谷和道君と一緒に3年間野球をしたのであります。

私達の時代は、先輩が甲子園に出てから15年がたった頃で、あまり強くなかったのですが、前年度県大会ベスト8まで残ったので、この年も同じところまではと、誰もが同じ思いで1回戦に挑んだのですが、私のスクイズ失敗で、皆の夢はあえなく華と散ったのです。その時は、自分自身の情けなさとチームのみんなに対する申し訳ない気持ちで、9回表の守備ではキャッチャーをしているマスクの中で涙があふれてとまらなかったのを今でもはっきりと覚えています。

そのことがあってから、大学時代も社会に出てからも、大事な場面では失敗を恐れるようになり、なかなかこの失敗コンプレックスから抜け出せませんでした。そんな中で父親が死に、結婚して村会議員になり、福祉の仕事に携わりながら昨年、母校の44年ぶりの甲子園出場と同じように、”県会”という私にとっての甲子園に送って頂きました。

今から思えばあの時、スクイズに失敗したことが今日の自分に大きな影響を及ぼし、悔しい思いをバネに頑張ってこれたのだと思います。

今でも失敗コンプレックスは多少残っておりますが、いろいろな体験を通して、コンプレックスを解消させて頂きました。

そのことは次回書かせて頂くとして、野球をしていたことが、私にとっては本当に良かったと確信しております。多くの友人、知人、先輩、後輩というすばらしい財産を頂きました。これからもこの財産を大切にしながら、県会という甲子園で頑張っていきますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

※山本のぶあき後援会だより(平成12年4月第10号〜平成14年11月第20号掲載「私の履歴書」より一部抜粋)