高松塚古墳

高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、奈良県高市郡明日香村(国営飛鳥歴史公園内)に存在する古墳です。藤原京期(694年~710年)に築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目されるようになりました。2009年に本来の形状に復元され、一般に公開されています。

高松塚古墳の発掘調査は、1972年3月1日から開始されました。発掘の始まったきっかけは、1970年の10月ごろ村人がショウガを貯蔵しようと穴を掘ったところ、穴の奥に古い切石が見つかったことです。地元の人達が明日香村に働きかけ、明日香村が資金を捻出し奈良県立橿原考古学研究所が発掘調査することになました。古墳は鎌倉時代頃に盗掘を受けており、石室の南壁には盗掘孔が開けられていましたが、壁画の彩色は鮮やかに残り、盗掘をまぬがれた副葬品の一部もこの時検出されました。特に極彩色壁画の出現は考古学史上まれにみる大発見で、文化庁はさっそく壁画の保存対策および研究調査にとりかかりました。その後古墳は1973年4月23日、特別史跡に、また極彩色壁画は、1974年4月17日に国宝に指定されています。出土品は漆塗り木棺の残片のほか、棺に使われていた金具類、銅釘、副葬品の大刀金具、海獣葡萄鏡、玉類(ガラス製、琥珀製)などがあります。中でも隋唐鏡の様式をもつ海獣葡萄鏡と、棺の装飾に使われていた金銅製透飾金具がよく知られています。

被葬者については忍壁皇子、高市皇子、弓削皇子ら、天武天皇の皇子とする説や、臣下説、朝鮮半島系王族説などがあるが特定はされていません。
石室は凝灰岩の切石を組み立てたもので、寸法は南北の長さが約265cm、東西の幅が約103cm、高さが約113cmで、大人2人がかがんでやっと入れる程度の狭小な空間です。横口式石槨と呼ばれる系統に入り、平らな底石の上に板石を組み合わせて造ってあります。

壁画は石室の東壁・西壁・北壁(奥壁)・天井の4面に存在し、題材は人物像、日月、四方四神および星辰(星座)です。東壁には手前から男子群像、四神のうちの青龍とその上の日(太陽)、女子群像が描かれ、西壁にはこれと対称的に、手前から男子群像、四神のうちの白虎とその上の月、女子群像が描かれています。中でも西壁の女子群像は(壁画発見当初は)色彩鮮やかで、歴史の教科書など様々な場所でカラー写真が紹介され、「飛鳥美人」のニックネームで親しまれています。

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北壁には四神のうちの玄武が描かれ、天井には星辰が描かれています。南壁には四神のうち南方に位置する朱雀が描かれていた可能性が高いが、鎌倉時代の盗掘時に失われたものと思われます。天井画は、円形の金箔で星を表し、星と星の間を朱の線でつないで星座を表したものです。中央には北極五星と四鋪四星(しほしせい)からなる紫微垣(しびえん)、その周囲には二十八宿を表しています。これらは古代中国の思想に基づくもので、中央の紫微垣は天帝の居所を意味しています。また壁画はその類似性から高句麗古墳群(世界遺産)と比較する研究がなされています。四神はそもそも高句麗様式の古墳に特徴的なモチーフであるが、高句麗の画風とは異なった日本独自の画風で四神図が描かれていることが指摘されている一方で、天空図に関しては、高句麗から伝来した原図を用いた可能性が指摘されています。また、女子群像の服装は、高句麗古墳の愁撫塚や舞踊塚の壁画の婦人像の服装と相似することが指摘されています。